見沼のフナノ

見沼地域の藁塚は、ワラを楕円形に積み上げ、屋根を乗せた状態で屋外保存する「フナノ」です。

かつて制作したとの経験者も数名あり、見沼地域の貴重な農業文化の象徴として継承・保存していくこととしました。

◆きっかけ

2007年、埼玉県立近代美術館25周年記念展「田園讃歌」開催の際、同館から見沼ファーム21にワラの提供依頼があり、約4tのワラを提供し、その時作られた愛媛、島根、大分の藁塚の制作に協力しましたが、埼玉の藁塚がなかったことから見沼地域のわら塚の調査をすることになりました。

◆約50年ぶりの復元

図書館や博物館では資料は見つからず、見沼たんぼ周辺の農家から「フナノ」という藁塚があったと聞き、更に作ったことがあるという越谷、加田屋地域の農家の方々の指導を受け、2008年秋、膝子コスモス祭り会場に「フナノ」を約50年ぶりに復元しました。約50年ぶりの復元ということもあり、NHKテレビの首都圏ニュースで放送され、読売、朝日、産経、埼玉各新聞に掲載されるとともに、多くの人が鑑賞に訪れました。

◆2014年までに4回制作

以降、2014年までに同規模のフナノを、膝子コスモス祭り会場、新加田屋たんぼと会場を変えながら4回制作しました。制作回数を重ねるごとに協力者も増え、第4回の制作には埼玉大学学生や見沼たんぼ未来遺産推進委員会のメンバーの参加協力があり、清水さいたま市長も来訪されました。

◆フナノ制作実行委員会からフナノ保存会へ

第5回の制作は、未来遺産推進委員会や農家の参加でフナノ制作実行委員会を結成し、制作主体は同委員会に引継がれましたが、見沼ファーム21も委員会メンバーとして制作の中心を担いう形で制作に係わりました。

制作にあたっては、浦和ロータリークラブより寄付を受け、完成披露会を実施し、完成披露後夕闇の中でフナノの周りに竹筒を立て、ろうそくを灯す竹宵を行い、幻想的な景観が浮かび上がりました。

フナノの復元も追い風となり、2014年に日本ユネスコ協会連盟により見沼たんぼが「未来遺産」に登録されました。

さらに、第5回の取組みを通して「フナノ」が見沼たんぼの貴重な文化遺産との認識が広がり、見沼ファーム21を中心に未来遺産推進委員会や近隣農家が参加した「見沼たんぼの文化遺産・フナノ保存会」を新たに結成(15団体、個人21人参加)し、名誉会長には清水さいたま市長が就任されました。

第6回以降は保存会として制作しました。

作り手の養成に見沼ファーム21の果たす役割が大きいことを考え、見沼ファーム21は今後も作成には関わりつつ、保存会が自立して「フナノ」を地域に根付かせ、次世代へ継承していけるよう協力していきます。

フナノの制作方法

フナノのワラは、通常約5反ほどの水田の稲藁を使って作成されていたとのことです。そのため、『「フナノ」をつくれない農家(5反の水田のない農家)には、娘を嫁に出すな』と言われていたそうです。

フナノは、まず、ワラ束で土台をつくり、その上に約2mの高さまで、丁寧にワラ束を積み上げ、更にその上に、ワラ束をしばって作った屋根をのせます。屋根にはワラでつくった鬼瓦のようなの飾り「獅子頭」をのせます。

これまで当会が作成したフナノの平均的な規模は、縦約5m、横約2.5m高さ約4m、ワラの重さ約9トン(約9反分)で、制作日数は人数にもよりますが、各田んぼからのワラの運搬を含めて平均で5~6日程度かかっています。解体後のワラは農家やPTA、団体等に提供しています。


位置と規模を決め、もみ殻を敷き

台となる藁を敷き詰めていく

楕円状になるように藁を重ね、脇をたたくなどして固め、約2m余積む

屋根用に編んだ藁を台の上に乗せ、形を整えていく

屋根用に編んだ藁を台の上に乗せ、形を整えていく